琉球大学医学部附属病院  救急部 副部長 寺田 泰蔵
巻頭の挨拶 地域に,沖縄県に,より一層貢献できる救急医療をめざして

 皆さんこんにちは、平成30年3月1日付で琉球大学医学部附属病院 救急部に赴任しました 寺田泰蔵てらだたいぞうと申します。
 まずは自己紹介をさせて頂きます。東京都世田谷区で生まれ、神奈川県横浜市で育ちました。高校は神奈川県立横浜翠嵐高校に通い、大学は高知医科大学(現 高知大学医学部)を卒業、初期研修は東京大学医学部附属病院救急部にて行いました。その後琉球大学医学附属病院 麻酔科、救急部、東大病院救急部、公立昭和病院救命救急センターなどを経て、前任の那覇市立病院救急科にて14年間救急診療に従事しこの度、縁あって琉大病院救急部にお世話になることになりました。沖縄は母親の出身地でもあり、また移り住んでからも長いので、今ではほぼ地元という感覚です。

 さて、救急部のお話ですが皆さんは救急という言葉でどのような光景を思い浮かべられるでしょうか?テレビドラマのER(緊急救命室)のような、待合室にあふれかえる人々や次々に救急車で運ばれて来る患者さんを颯爽と治療していくお医者さんや看護師さん。ドキュメント救命救急センター24時のように、担ぎ込まれたひん死の患者さんに大勢のお医者さんや看護師さんが懸命の治療を施している光景。ドクターヘリで事件、事故現場に向かい、負傷者を病院へと搬送する姿。災害現場へと赴き、被災した方々を救助、治療するDMAT(災害派遣医療チーム)隊員などなど。これらすべてが救急医療であるといえます。しかし救急の日常というのは実はもっと身近で地味なものかも知れません。夜間急な発熱のため来院される乳幼児の患者さんと親御さん。飲み会の帰りに転んで怪我をして搬送される旦那さん。人口の高齢化や在宅での介護の普及などを反映して、体調を崩された御高齢方の受診も増加しています。また近年では、経済的問題や社会的問題を抱え医療へのアクセスに困難を抱えた患者さんの受診など、社会のセーフティーネットとしての役割も救急医療に期待されつつあります。
 このように日々多様化する救急医療の現状を受け、琉大病院救急部は、比較的軽傷である一次救急患者さんから絶命の危機の瀕している三次救急患者さんまで幅広く受け入れを行って参りました。そして平成27年には救急災害診療棟が新設され、受診患者数、救急車受け入れ件数ともに増加の傾向にあります。また災害に対する院内体制の整備や発災時の災害支援(DMATチームの編成、派遣)にも積極的に関わっております。歴史も浅く、まだまだ発展途上の部署でありますが、今後は救命救急センターの認可を目指して重症患者さんの受け入れを促進すべく、体制を整え、地域や沖縄県の救急医療に貢献して参りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。