長い間ご苦労様さまでした

退官のご挨拶

 今年3月で定年退官いたしますが、私は沖縄が本土に復帰した年の11月に琉球大学医学部の前身である保健学部付属病院に赴任いたしましたので、沖縄での生活は28年になります。従って医学部卒業後の三分の二は沖縄で医療に従事したことになります。

 赴任当初は沖縄には麻酔専門医が中部病院にいらしただけで、外科の先生の援助で日々の麻酔症例をこなしていました。今ではスタンダードのモニターとなっている心電計も全例で使用できず、聴診器と血圧測定、五感にたよった麻酔でしたが、今の種々のモニターを揃えての麻酔から考えてよく事故が起こらなかったと思っています。

 麻酔の他に高気圧治療を沖縄に来て初めて手がけるようになりました。それは沖縄では漁師がボンベを使用する潜水で追い込み漁などをしていたため、減圧症(潜水病)が多発していました。そのため、大型の高気圧治療装置が設置されていたからです。学生時代には病名も知らなかった疾患で、治療法も少ない資料を参考にしました。初期のころは酸素の代わりに空気を使用しての高気圧治療でしたので、重症型の場合には一回の治療時間が35時間必要でしたが、今では酸素の使用で5〜6時間で治療出来るようになりました。麻酔科の一部門とし                      て治療していたのが、医学部の開設で高気圧治療部となりました。振り返って見ると600例近くの減圧症症例を治療していますが、重症例(脊髄障害例)では全治出来なかったのが残念です。しかし、高気圧治療を手がけていたために沖縄で第20回日本高気圧環境医学会を開催することが出来ましたし、沖縄研究奨励賞、山村記念賞も頂く事ができました。

 また、定年後の今年7月には沖縄で日本高気圧環境医学会九州地方会を開催いたします。これからも何らかの形でいままでの経験を役立たせたいと思っています。

           (麻酔科学講座 湯佐祚子)

写真1

 

 

りっぱな看護婦(士)になって下さい!

 平成13年2月19日〜3月2日の期間、泌尿器科病棟で平成12年度生活援助技術実習「終了後に入院中の仲松弥清様からお手紙を頂きました。仲松様には、実習の学生受持ち患者さんとしてご協力いただきましたが、担当学生が実習1週目にご家族のご都合で帰郷しました。仲松様は、実習学生に『是非りっぱな看護婦(士)になって下さい!』という願いを込めて、透析中にA4用紙7枚の手記をお書きになりました。

 仲松様には実習中の学生教育にご協力頂きましたことに感謝申しあげ、看護教官として尽力いたしますことを申し添えます。

 今回、仲松様ご本人の許可を頂き手記一部を掲載いたします。

     (保健学科基礎看護学教室 大湾知子)

「透析と共に生きる」

【透析室での過ごし方】

 まず、4時間自由時間があるという事です。私の場合、指導員資格免許を取ったので次は、検定員資格免許に挑戦し、その4時間を有効に使ったと思います。2回の挑戦で検定員にも合格しました。

 こうして昭和56年目からは透析にも慣れ、食事もおいしく食べれるようになり、ヘマトクリットも改善し透析との付き合いも慣れてきた所です。

 透析室ではテレビをみたり雑誌を読んだりその日の新聞はなるべく透析室で読むようにして、4時間を早く終わらせるようにしています。

【最後に】

 慢性腎不全は、前にも書いた様に痛みも全くありません。できれば6ヵ月に1回位尿検査を受けて蛋白が出ていないか検査を受けた方が良いでしょう。去年の11月にCT検査で両腎に腫瘍が発見され、2月15日に腎臓摘出手術を受け、傷口が痛く全く動けない状態の時に、保健学科の鈴木君のお世話になり大変助かりました。食事の後片付け、透析室まで車椅子で連れて行ってもらったり病気の時程、人の助けが何よりもいいなと思いました。沖縄の政治家が言った有名な言葉があります「他人の小指の痛みのわかる人になってほしい」。 鈴木君、喜名さん、仲里さん、真境名さん立派な看護士、看護婦になってください。

         (平成13年2月28日 仲松弥清)

写真2

 

 

 

 



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