長い間ご苦労さまでした。

退官のご挨拶

 平成12年3月31日をもって退官することになりました。昭和59年4月1日に着任以来、大過なく勤め上げることのできたのは皆様のお陰と感謝いたします。

 病院における私の担当は、心臓病や腎臓病、脳神経病でありました。狭心症、心筋梗塞、心不全、腎不全、脳出血や脳梗塞などといわれる病気がそれです。いづれの病気も本人のみならず家族や周囲の方々に大きな打撃を与えることをつぶさに経験してきました。予防できたらな、と常に考えてきた16年でした。

 これらの病気の大半は小、中、大の血管が傷ついて起るものです。血管が傷つくのは血圧の上昇、糖尿病やコレステロールが高いことに大きな原因があります。

 殆どの病気は、親から受け継いだ素質にもろもろの生活の過ごし方が加わって起ります。親から受け継いだ素質は変えることはできませんので、病気を予防するためには、生活の仕方に注意すればよいことになります。肥えている人はカロリーが少ないバランスのとれた食事、食塩を少なく、お酒はほどほどに、歩くことにつとめ、たばこは吸わないのがのぞましい生活です。親や兄弟に上記の病気にかかった人がおれば、とくに気を付ける必要があります。

 今、治療中の方も基本的には同じ生活の仕方がのぞまれます。一度傷ついた血管はもとに戻らないと考えがちですが、最近の研究によってそれは間違いであることが分かってきました。生活の改善や服薬によって血管はきれいになる可能性があります。積極的に自らを管理してください。

 琉球大学病院では、患者様の希望を何よりも優先して、治療にあたる(患者様の自己決定権を医師の裁量権より重んずる)ように皆が気を付けています。解らないことがあれば、どんな些細なこでも主治医や看護婦、病院窓口にご相談下さい。権威があって住民に優しい、頼り甲斐のある病院と皆様に言われてほしいと思っています。

(医学部長 柊山幸志郎)


退官のご挨拶 「琉球列島航海記」

 船は、高雄(台湾)の聯華遊艇工廠で作製した45フィ−トの機帆船で、二本マストのケッチです。
エンジンはヤンマーのジーゼル(百馬力)を搭載しています。船籍登録上は12トンですが、燃料500リットル、水800リットルを満タンにして、家の者と二人で数週間暮らせる程度の食料雑貨・書物など積み込めば、恐らく16トンは越えるはずです。
 このたびの航海は、高雄の造船所から横浜在住のオーナーのところまで、出来立ての新艇を試運転をかねて回航しようというのが目的です。スキッパーはこの船の設計施工監督をしている淡路島の桶谷氏です。
 Y2K問題でやかましかった年末から年始にかけて、この航海を計画しましたが、病院待機やFDの会議があって、その期間は那覇へ帰っていました。桶谷氏の話によると、与那国へ入る少し前、台湾東沖50海里を航行中、ちょうど大晦日の真夜中、GPSが二時間ほど停止したとのことでした。でも、これは何かの偶然だったかもしれません。
 北風の強い冬期、遊びで、台湾から北上しようという酔狂なヨットはいません。向かい風と向かい波を受けて船速は6ノットです。石垣港に入っても連日雨風が強く、とても出港できる状態ではありません。天候がおさまるのを待って4日目の午前3時、アフトデッキへ出て夜明け前の空を見上げたら、満天の星です。一瞬息を飲む星空でした。風も嘘のように止まっています。
 午前4時、宮古へ向けて出港しました。真っ暗な波間に白い航跡が通りすぎて、夜光虫がキラキラと光ります。灯台の点滅の周期をはかり、GPSで船位を確認して海図に記入しながら進みます。多良間島のテレビアンテナが見え始めた頃、再び北西の風が強く、波高は4メートルを越えました。家の者はアフトキャビンのベットで横になったまま動かなくなりました。桶谷氏と私はパイロットハウスの中で、時々舵輪を扱いながら、池間漁港の入り口はどこか無言で探していました。日夜、病院の業務に従事されている皆様には大変申し訳ないことですが、私の気持ちはすでに退職しています。

(琉球大学麻酔科 奥田佳朗)




  前のページ(No.7 p.2)
  次のページ(No.7 p.4)


 琉大病院HOTLINE 目次


ホームページに戻る