変貌する救急部に御期待を

 我が救急部は、昭和49年、全国で6番目に設立された歴史の古い部であります。これ程の歴史を持ちなが
ら、これまで存在感が希薄であったのは奇異な感じもしますが、救急専従医師や看護婦(士)の数、病棟運営
の問題等が大きな足かせとなっていました。

 平成7年になって救急部の在り方が検討され、病院全体のご支援のもとに、専従医師の増加、担当看護婦の
増加を得て、一次から三次までの24時間体制で診療できるようになりました。振り返れば、救急部職員の努
力もさることながら、歴代の病院長、救急部長、各診療科・部の先生方や看護婦、コメディカルの皆様の協力
のお陰であると感謝いたしております。お陰様で救急部受診患者数は年々増加し、平成10年度は4000名
近くなろうとしております。ただ、救急疾患の内訳をみますと軽傷が多く、重傷熱傷、多発外傷等の重傷例が
ほとんどない傾向にあります。しかし、それも今日の外来棟の改築、病棟運営の改変によって徐々に変わって
いくと思います。救急部の病床の利用についての新しい取り決めも認めていただき、専用ベッド2床、24時
間制限枠のはずれた各科共通の7床(運営は原則として救急部)と、ようやく救急部としての活動の最低条件
が揃いました。                                          

 11月からは研修医のローテーションも実施され、研修医教育の実績づくりも始まります。さらにその上、
救急部専従医員の確保も多方面に働きかけております。同時に、6年生の学生諸君にも、救急部入局の勧誘を
始めました。多数の新人の入局を期待しております。これらの動きも、次なる目標へ向けての第一歩であると
救急部職員一同、キモに命じております。
 
 近年の日本の医療形態は、変わりつつあります。プライマリケアを含めた包括的・全人的医療が出来る医療
者の育成が指向され、その医師は当然のことながら、一次(或いは二次までも)救急医療が出来ることも条件
に含まれています。そんな意味でも、救急部が充実発展していくことは、意義あることと考えます。    

 琉大医学部附属病院の特色は何でしょうか? 一次から三次までの如何なる救急疾患、重傷例に対処できる医療技術を持ち、しかも沖縄・アジアの中心となるような高度医療の行えるセンターの設立もその一つであると考えております。私は、このようなセンター構想の基礎になるように、又そのような救急部と認識されるように、微力ながらお手伝いします。どうぞ、これからも、医学部・附属病院の職員の皆様方の、以前にも増してご協力をお願いいたします。              




                                      救急部長 吉井 與志彦

救急部の施設・設備の充実

 昭和49年に設置された当救急部は、平成7年の当病院の救急医療への積極的な参画の開始と同時に、人員の確保と設備の充実が進められてきました。現在までに専従医師2名と看護職員9名にまで増員され、この11月より救急部における研修医教育も開始されます。救急器材も心肺蘇生、薬物中毒、外傷などへの対応のための器材がほぼ整いつつあります。

 さて、今回の救急外来改修においては、今までお見舞にいらした方と救急患者さんとが同じ動線を使っていた救急部入室経路を、屋外に直接面した単独の救急部受付を新設することに変更し、受診患者さんの利便性を改善しました。また救急車による搬入経路も誘導のための看板を新設したことも相まって従来よりかなり改善されました。そして救急部内の診療スペースについては、間仕切りの出来る診察スペースを新たに確保し、患者さんのプライバシーを守れる場所を確保し、また重症患者さんのための初療スペースも拡充され、より高度な救急処置に対応できるスペースの確保を行いました。

 その他皆さんの目には直接触れにくい場所ですが、治療スタッフのためのカンファレンス室、当直室を新設し、より多くの患者さんを受け入れ、質の高い医療を行うための準備が整いました。いまなお物理的なスペースの問題は残された状況にありますが、他施設と比較してもけっして遜色のない立派な救急外来となりました。今後は、人材の育成、システムの構築面についても全力を尽くす所存です。                            

                                       救急部  寺田 泰蔵


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