問題解決空間の定式化に関する考察

Establishment of the formulation for the problem-goal-solution process

廣瀬康行,佐々木好幸,木下淳博,水口俊介

東京医科歯科大学
琉球大学
uploaded 1998.8.5
この稿は 廣瀬康行 が 東京医科歯科大学 に所属していた時に記したものである.
なお本稿は,
  日本医療情報学会シンポジウム97.97.06.01.神戸.
  医療情報学 17 (3) S:185-192.1997.
に発表済みである.

抄録:(345 字)
我々は問題の発見と定義から目標の設定そして解法の組立と実行に至り,これが繰り返される過程を,思考空間と対象空間とを統合しながら,論理的な枠組の中に定式化した.
診療経過とともに連綿と続く思考過程を診療サイクルに区切り,診療サイクルの中には思考ステップにしたがって思考ブロックを設けた.そして複数の思考ブロック間に論理関係や遷移関係を規定して,時間経過によって変化する対象空間と思考空間を統合させつつ,診療の文脈と論理とを記述記録するためのシステムの内部環境を想定した.
これによって医師の思考過程ならびに思考の際の参照素材とを完全に記述記録できるようになるとともに,機械による病歴データベースの解析や機械学習の効率化や精確度の向上が見込まれ,臨床知識の集積と獲得にも貢献しうるものと期待される.

Abstract:(134 words)
We have established the formulation for the problem-goal-solution process.
The purpose of this formulation is to provide the logical description of thought process, the environment for the declaration of reasoning, and the behavior of intelligence in decision making.
The formulation consists of several "process cycle" accoding to the time course, a set of the thought process. This has a series of thought steps, i.e. "process cycle" has "thought blocks". One "thought block" and another has logical relation each other.
A doctor/operator can afford to handle (put, move, delete, grouping..) clinical data/information in "thought block" or between "thought blocks" in accord with what he thinking. Therefore process of thinking and its determination is described or recorded logically in result.
These logically related data and behavior of intelligence is efficient for clinical research and machine learning.


1. 問題意識と状況分析

 診療情報システムは医事会計業務の省力化を目的として始まり,総合的な部門オーダリングシステムの道のりを経てきた.しかし昨今,診療を実施する際の理由付けや,異施設間情報交換での病歴描写の必要性などが認識されて,患者の病歴とともに医師の解釈や考えの記録を主体とするスキームの開発,ならびにその標準形式の模索が始まっている.

1.1 紙カルテの構造

 この模索の中で為されていることは,現時点では本質的には,旧来の紙カルテ構造を模写することへの努力の傾注である.しかし紙カルテの構造とは,単純な source-oriented に構成された stack-up book である.すなわち;

  1. 部門別あるいは情報発生源別に,データや情報を整理している構成である.換言すれば,診療論理や因果関係にしたがった記録構造を有しているわけではない.
  2. 症状所見やその解釈と診療計画などは,ある時刻における自由文によって記述されている.すなわち時間の経過に沿って自由文がスタックされていくものの,時間経過における相互関連性や状態遷移を正確に記録するための構造的な形式を有しているわけではない.この意味において,時間軸を有しているというよりはむしろ,ある時刻での切り口における記述を,言わば refill によって平板に追加しているというイメージに近い.よって時間の軸性の有無についての議論はナイーブなものとなろう.
  3. データや情報への参照や因果系列を正確かつ詳細に指し示しながら記述記録することは不可能ではないものの,最適の機能環境であるとは言えない.

 つまり,因果や推理などの論理性,時間推移における文脈や状態変遷,atomic なデータや情報への参照と被参照関係の記述記録については,適切な構造であるとは言い難い.

 このような構成の stack-up book としての紙カルテ構造を電子化した場合,上記の限界をそのまま継承してしまうことについては論を待たない.もちろん,この形式に慣れ親しんだヒトにとっては受け入れやすい構成ではあろう.しかし個々のデータ,あるいはデータの評価,さらにレポートや要約の理解や解析や解釈は,送り手ではなく受け手側,すなわと紙カルテを読んだヒトの知的動作による補足や再構成にも依存している可能性が極めて高いことを,意識しておく必要があろう.

1.2 情報伝達と解釈における文脈と前提

 マシンによる論理解析や意味解釈は,ある時刻における・いわば単発的な文章や語に対してのみ実現できれば良い,というものではない.つまり前述の refill が幾枚も存在する症例において refill ごとの解析ができるばかりではなく,診療における時間経過を内包した文脈と論理関係とが充分に反映された意味解釈を取得する必要がある.

 一見これを為しえたように見えても,解析方法ならびに結果の評価については,努めて注意を要する点がある.すなわち解析結果を理解するヒトが,文脈と論理関係を補足しつつ表象を再構築していなかったかどうか,換言すれば,ヒトの知的動作が無ければ完全性を保ち得なかったか否か,という点である. これは特に,時間の推移に伴う外界状態の変化(患者状態の変化)と・それに応じた内的世界の変遷(理解や判断や目標など)・そしてその実施結果などを,統一的に解析解釈する際には critical な問題となるように思われる.

1.3 ヒトによる補足解釈の必要性の有無

 一つのデータや情報は,ある文脈や履歴の中に embed されており,その中で意味の輝きを放っている.したがって history や context 無くしては,意味解釈や論理的判断,そしてその妥当性の評価を為し得ないのである.履歴や文脈は,時間推移の包含のみならず一つの語の解釈範囲をも規定しており,その意味において,解釈や表象の環境を提供していると言える.

 このことは当然ながら,ヒト対ソフトウエアのみならず,本来,ヒト対ヒトの情報伝達とその解釈の過程にも,言いうることではある.しかしヒトは,その優れた(物理)空間把握能力,異集合や異系列の分別能力,集合や系列の欠落要素の補足能力,異次元空間間の展開や再構成能力などを駆使することによって,非常に短かく効率的な・一面では曖昧かつ宙に浮いた・自由文や単語や略号のみの交換によって,情報伝達と妥当な解釈を成立させている.

 しかしコンピュータに蓄積された情報の後利用に関する様々な主題を研究する際には,このようなヒトとマシンとの決定的な能力差を無視するわけにはいかない.たとえ自由文の自然言語処理をするにしても,実効的な後利用を実現するには,情報の記録入力段階からの合目的的な計画が必要となるように思われる.

1.4 現状での到達点と問題点

 ところで我々は歯科の大病院において初めて電子カルテを導入し,実稼働させている.このシステムの設計理念ならびに実装したデータベース構造には,以下のような特徴がある;

  1. problem とその時間的変遷を中心軸として
  2. problem に全ての診療情報を統合することで因果関係や理由付けを為すことを試み
  3. 診療経過とその論理の traceability やマシンによる audit への適合性を追求した

 これらの要件は hierarchial schema を持つデータベースである medical history file と,有向非巡回グラフである episode net,さらに reference log journal を随伴させて実現している.このような構造は,電子カルテの初期段階としては,評価に値するシステムといえよう.
 しかし理由付け,とくに problem の生成や目標設定過程での理由付けや,治療計画の構成,あるいは実施や決断過程の記述記録に充分な構造であるとはいえない.

2. 目標

2.1 思考と臨床データの統合管理

 我々は,以下の二点は,今後の電子カルテならびに病歴データベースの設計にあたって,非常に重要な要件であるという認識を持っている;

  1. 診療従事者の思考や決断の過程を,種々の臨床情報とともに統合した形式によってシステム内に記録蓄積すること
  2. システム内における診療従事者の挙動に,診療従事者自らが・その合理性と妥当性を明示的に付与しうる環境を整備すること
 これら二点の重要性は,必ずしも病歴データベースからの知識獲得を前提としたものではない.ただし病歴データベースに集積された臨床経験を材料として machine learning を目指すならば,これら二点は必須事項となろう.

 そのための solution は,思考過程を論理的な枠組みのなかに記述記録すること,しかも経時的な診療行為という文脈の中でこれを行うこと,であると思われる.ここで「枠組みのなかに記述する」という言い方をしたが,実際の入力に際しては,堅苦しい入力フレームを強要しているのではない.他の方法,たとえば自由文の入力と自然言語処理なども,考慮しうる前処理方法ではある.

2.2 機械による知識経験の獲得

 しかし structured entry にせよ free text entry にせよ,病歴データベースの解析に際して,ヒトによる補足や再構成を必要とせずにアプリケーションによる診療論理の追跡や検証を可能とするためには,診療過程で繰り返される知的挙動の枠組みを,あらかじめ明確に想定しておく必要があると考える.そして臨床思考それ自体をこの枠組みの中で行うか,もしくは,この枠組みの中に思考の結果や記述を落とし込むわけである.

 定式化された思考の枠組みの存在によって,マシンによる病歴データベースの解析,なかでも臨床経験や医学知識の効率的な獲得や,その精確度の向上も可能となろう.さらにこの枠組みが与えられることにより,時間と文脈,論理関係と思考や決断状況の記述,外界と内的世界とを統合的に扱うことのできる実装環境を具現化するための基礎的な知見が得られるとともに,その限界を知ることも可能となる.よって,この枠組みを明らかにすることとした.

3. 戦略

 臨床における問題の発見と定義から解決と評価までの過程を,内省と共同研究者間の議論によって,

  1. 要素構造への分離分割
  2. 構造間の論理関係の規定
  3. 時間推移における外界の変化に応じた内的状態の変遷関係の規定
を行うこととした.その際に論理学,解釈学,認識論あるいは認知科学なども適宜参照したことは言うまでもない.ただし目的はあくまで問題解決空間の定式化にあって,実装を念頭においた形式論理学や記号論理学の直接的な適用は本研究の範囲外とした.

 哲学史上における位置づけとしては,二値ではなく様相論理を認めるとともに,反映論(teoriya otrazheniya)に立脚しており,考察においては実存主義の流れを感じることであろう.というよりも,時間推移,外界の解釈,内的世界の運動,外界への働きかけ,という要素を統合して考えると,結果としてその様になったのである.
そしてそのなかで,臨床における思考と外界との相互作用を観察し,これを定式化することを試みた.

4. 成果

4.1 問題解決空間の概要とその性質

 問題解決における思考,すなわち内的な運動過程あるいは知の挙動は,問題空間から目標空間そして解空間に至るまでの写像によって構成されていると捉えることができる.これらの空間をまとめて,思考空間と呼ぶこともできよう.また,これらの空間は a priori に存在しているのではなく,知の挙動によって徐々に,あるいは直截的に形成される.したがって三個の空間の内部には,それぞれ部分領域が存在することになる.

 三個の空間では,絶えず対象空間,すなわち患者の臨床データや既存の知識などへの参照運動が生じている.この参照結果に如何によっては,それぞれの空間の大きさや内包する要素も変動することになる.換言すれば,個々の空間の形成過程・あるいは・一つの空間から一つの空間への写像,そしてそれらの要素は,いずれもが対象空間からの修飾を受けることになる.

 さらに時間経過による外界状態の変化によって,一つの空間から一つの空間に対して・あるいは・その空間の再構成過程に対して,言わば逆順の修飾作用も存在している.この修飾作用によって,個々の空間内部の部分構造も,変遷を余儀なくされることとなる.
 このような環境と過程とを総称して,本論では問題解決空間と呼ぶこととする.なお問題解決空間における思考空間と対象空間の完全分離は,困難である.

4.2 思考ブロックと診療サイクル

4.2.1思考プロセスの分解と相互関係

 まず,各空間の生成過程,ならびに空間から空間への写像過程を,複数の思考ステップに分解した.またこれを思考ブロックとして,明示的に表現した.同時に,各思考ブロックもしくはブロック間における知の挙動範囲や,ブロック間の参照関係や論理関係を規定した.これらの知の働きや相互関係は,そのまま思考のプロセスと捉えることができる.
 なお紙枚の関係上,この概要についてはシンポジウムにて説明せざるをえない.また詳細については,稿を改めて記したい.

4.2.2巡回性の排除

 次に,時間経過による逆順の修飾作用を扱いやすくするために,逆順の作用を形式的に排除することとした.すなわち,ある時刻点での思考過程を一つの思考サイクルとみなして,時間経過にしたがってサイクルを回転させることとした.このサイクルは,診療サイクルと呼ぶことにする.このことによって,逆順の修飾作用は,時刻 t の診療サイクルから時刻 t+1 の診療サイクルの要素への修飾と捉えられ,巡回しないプロセスとして扱うことができるようになる.
 なお思考の焦点は,時間経過による診療サイクルの回転の中で,思考空間と対象空間との間をスパイラルに動いていくこととなる.

4.2.3内的状態変遷の明示

 さらに,時間経過における診療サイクル間,あるいは診療サイクル内の対応する思考ブロック間での変遷関係や相互関係の希薄さを惹起しないために,二点を考慮している.
 一つは,診療サイクル自体が,明示的にはプロブレムリストの変遷(非変遷を含む)を中心軸として回転していることである.そしてもう一つは,診療サイクル間での対応するブロックの変遷関係を明示し,規定していることである.なお変遷関係には,順位や優先度の変化も含まれている.

 以上の三点は定式化のための処理ではあるが,問題解決空間における知の挙動を,技巧的な要因によって変質させてはいない.むしろ,1)ある時刻から次の時刻へと時間が経過した際には,外界ばかりでなく内的世界も同一ではないこと,2)そうは言っても過去の歴や文脈を無視しえないこと,の二点を考慮すれば,かえって自然な形である,と言えよう.

4.3 思考素材のハンドリング

 前節までで,問題解決空間の構造化ならびに各構造間の論理関係の規定は為された.しかしこれらは未だ枠組みのまま,すなわち空箱のままである.この枠組みの中に思考の素材を投入することによって,現象の解釈と抽象化ならびに解空間への論理過程と,時間経過にしたがって生じた外界の変化と内的世界の変遷文脈とが表出されるような構成になっている.

 この枠組みの応用方法ならびには様々あろう.自由文による記述から自然言語処理によって抽出された比較的小さな抽出物をはめ込んでいく,とういうようなこともできよう.

 ただ我々としては,診療サイクルの思考ブロックそのものの中で,思考の素材となる個々のデータや情報を取り扱うことの方が,むしろ容易であるように感じる.具体的には,思考素材をある思考ブロックで出し入れしたり,あるいは思考ブロックの中でグルーピングを行うなどの,データハンドリングを行うことである.換言すれば,知の挙動を手の動きに写す,ということでもある.
 なおデータもしくは思考素材の容器としては,後述するセルやコースを一例として挙げることができる.

4.4 素材の種類

 思考素材は,単に外界もしくは対象に関するデータや情報だけではない.既に教科書的となっている知識はもちろんのこと,治療に関する各種の措置,すなわち投薬,検査,処置や手術なども,素材として扱うことになる.これらの素材の扱いは,問題解決空間における扱いという観点では,何ら困難な問題を生ずることはない.

4.4.1支援ツールの組込可能な環境

 前者は,診断支援や診療支援などへの navigative なアプリケーションの組込や,電子カルテとの連動への,適切な環境を提供している.
 一つに,外界の素材も知識ベースの素材も,一貫してセルとして扱うことができる(後述).二つに,問題解決空間が定式化されているので,知識ベースからの選択肢抽出は非常に効率的かつ高い尤度での実行が可能となっている.三つに,問題解決空間自体が,意志決定過程における熟考の場を提供しているからであるである.

4.4.2可能な診療処置の時間的組立

 後者は標準治療計画や標準看護計画,すなわち流行語でいえば care map への途を開いている.なおセルとコースの本質的な違いは,診療処置の時間的な組立と再構築に適しているか否かという点のみである.つまりコースの特徴は,thread として一塊として扱えることにある.

4.4.3対象空間の要素

 定式化のうえで簡明な解を得ることが難しい問題は,過去の診療サイクル中のコメントや判断さえも,次の思考のための素材となりうることへの扱い方である.

 すなわち,時刻 t-1 における内的世界の運動結果を表現した事項は,ある思考ブロックの要素として,時刻 t-1 の診療サイクル内におかれている.この要素事項は,自らの知的挙動によって現出させた要素であるにも関わらず,時刻 t においては新たな思考のための素材として扱う必要が生じてくる,ということである.対象空間の要素は,外界から生じた素材ばかりとは限らないのである.

 したがって問題解決空間においては,対象空間と思考空間とを完全に分離できるであろうと想像することは,楽観的に過ぎよう.むしろこれらは,積集合をもつものとして捉えるべきであろう.

4.5 データ構造と参照

 思考すなわち論理構造の構築作業において,個々のデータをハンドリングする際に必要となるデータの構造をセルと呼ぶことにしている.

 セルは,カプセリングされたポインタである.すなわち,思考ブロック内にデータ実体が存在しなければならない理由は全くない.しかし一方で,思考ブロックからの被参照などの文脈関係の一部については,保持できる構造が必要である.それらはカプセルが保持すれば良いのであって.データ実体が文脈関係を保持する理由は全くないのである.

5. 考察

5.1 定式化のための方法について

 オブジェクト指向分析の方法も採用しなかった.この方法は実システム構築の際に,コーディングの面でも,部門間やアプリケーション間の会話構造を規定するためにも,極めて有用である.しかし思考過程の各段階を領域に分割しながら領域間の論理関係を規定している段階の分析手法としては,違和感を感じざるをえなかった.

5.2 自然言語処理に関して

 複雑な脈絡や論理構成を持った表象を自由文で表現することは,不可能ではないものの相当の文章力が必要とされる.加えて,自由文では意識的無意識的に関わらず,省略や短絡的な記述が生じやすい.したがって自然言語処理以前の過程,すなわち自由文の記述の段階にこそ,なかなかの困難さが存在することも否めない.

 このような現実の下で,自由文によって記述された病歴を精確に解析するためには,高度な自然言語処理とともに,下敷きとなるべき思考の枠組みが不可欠であると思われる.というのも,何が省略され何が記述されたのかの推察や解釈は,下敷きを持っていなければ,ヒトもマシンは理解できないからである.

5.3 伝統的な試みの限界

 問題解決空間は複数の領域から成り,かつ,複雑な相互関係を有している.したがって写像の線形性を期待することは,通常困難である.また比較的単純な診断木や決断木の構築も,問題解決空間の中の限局された領域でしか実現可能性が低いことも,容易に推察できよう.

 さらに CPN(Causal Probablistic Network)や BBN(Bayesian Belief Netwoek)では,時間因子が充分に加味されていないことも明らかである.Neural Network では非線形性の処理を可能とするものの,問題空間と解空間とを限定している上に,中間層の意味論的もしくは概念的な解釈ができないという弱点を有している.

 いわゆる data mining という手法は,数学的もしくは統計的な clustering や相関関係発見手法に過ぎない.充分数の基礎データが得られる場合には有効な発見手段ではあるものの,因果律や生起論理を云々するものではありない.

5.4 新しい可能性

 伝統的な判断支援や知識獲得の手法は,それぞれ上記のような弱点を持っている.定式化された問題解決空間は,それ自体が本質的に,これらの弱点を補足するような応用法も考案しうるという点で,新しい可能性を与えている.

 さらに応用の方法によっては,システムが自動的にブロック間あるいは要素間のリンクの重み付けの記録をすることもできよう.この場合,帰納的側面の強さとオペレータによる蓄積情報の質のばらつきという弱点はあるものの,知識獲得と知識支援環境の両方を同時かつ効率的に提供できることになる.

 また臨床学習においても,同一症例に対峙した際のエキスパートと初心者との outcome の差異比較や,シミュレーション学習のための基礎データの収集にも役立つこととなろう.

5.5 知の挙動とデータハンドリング

 成果として提示した HI は特異に感じられるかも知れないが,実は自然な環境である.

 というのも,ヒトは成長発育の過程で,外界と内的世界の分別を知り,外界の構造と動き,そして外界への働きかけとそれによって生起する変化を悟っていく.そのためなのか,ヒトの思考能力はヒトをとりまく物理空間の把握・展開・構成能力と並行していることが,知られている.また思考や表象を表現するための語,とくに動詞と前置詞あるいは用言と助詞は,空間と空間内の対象物そしてその運動を表現する言葉に影響され,かつ類似性を有していることが知られている.

 したがって思考過程の考察に深く踏み込んでいった場合,思考素材としてのデータをモノとして捉えて特定の空間のなかで扱うような HI との接点を持つに至ったことは,むしろ当然であると言えよう.

5.6 対象空間と思考空間の分離の限界

 前章に記したとおりである.

5.7 決断過程の重要性と現実性

 これまで論理性を付与するための構造化という側面を強調してきた.しかし我々は,一方では,文脈のある程度の論理的な構成と,いわゆる科学的な合理性とを峻別していることを明言しておきたい.

 このことを下敷きとしながら現実世界をふりかえってみると,日常において,いわゆる「意志決定的手法」が採用されることなど,コンピュータの支援があろうがなかろうが,まずほとんどありえない.現実世界においてはむしろ,問題空間も目標空間も解空間も充分には形成しない(できない)うちに,すでに何かしらの対応や処置を為しつつ,自らとともに患者をも未来へ投げかけているのである.

 換言すれば,いわゆる意志決定的手法は採用しておらず,不完全な問題解決空間の形成のままに「決断」を行っているのである.価値観や倫理的な議論は別にして,これが現実であろう.しかしそれでも臨床的な outcome は,それなりのレベルを保っているように見える.

 ということは決断過程の記録支援環境の方が,現実的には,より重要性な意味を持つものと思われる.定式化した問題解決空間はフルセットで応用することを前提として構築したものの,サブセットで応用することを拒むものではない.むしろ決断というキーワードを軸としてサブセットの応用を考慮することのほうが,より現実的かつ応用範囲を広くすることになるであろうと考えている.

5.8 Heuristic な方法への対応

 現実性という側面でもう一つ挙げておかねばならないことは,良くも悪くも heuristic な方法が必要である,ということである.言い換えれば,限定的かつ狭小な問題空間の仮定によって,対象空間へのアクション数とともに,思考空間におけるプロセス数をも極端に減少させることで,効率的な診療サイクルの回転をもくろむ,ということである.

 Heuristic な手法は効率的である反面,誤謬や pitfall の危険性をはらむものである.しかし最適化された heuristic な手法は,その限界と危険性さえ認識していれば極めて有用であることに反論は無かろう.では,如何にして最適な手法を見出していくのか.その環境も,定式化した問題解決空間そしてその実装と応用とによって,提供できるものと思われる.その理由は,本章の5節と8節で,既に述べている.

文献

  1. 廣瀬康行ほか.第16回医療情報学連合大会論文集 834-835.1996.
  2. 廣瀬康行ほか.第15回医療情報学連合大会論文集569-570.1995.
  3. 廣瀬康行ほか.第12回医療情報学連合大会論文集 673-678.1992.

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