大屋祐輔 病院長

「新しい年を迎えて:
4月1日より“琉球大学病院”となります」
 令和2年、そして東京オリンピックの年が始まりました。少し時間が経ってしまいましたが、新しい年を迎えてのご挨拶をさせていただきます。 少子高齢化社会を迎えている我が国では、人口減の地域での医療体制提供のありかた、増大する医療や福祉の予算、医師不足と医師偏在など、医療に関するいろいろな問題が出てきています。人口減の地域では、病院の合併、急性期病床の削減、病院の機能分担などの変革が、待ったなしで行われるようです。しかし、沖縄は、他県とは違い人口が増加しているために、医療体制の縮小のような課題はなく、むしろ、高齢化を迎えて、医療需要に医療提供体制が追いつかないのではないかと心配されています。今でも、子供たちが元気に走り回る姿と、高齢者がしっかりと地域で活躍をしている姿の両者がみられるのが、沖縄の社会の特色だと思います。長寿が崩壊したとされていますが、沖縄の社会が廃れているわけでは全くなく、今後、ますます元気になっていく気がしています。私たち医療者も地域を守るというミッションを持ってはいますが、活力溢れる地域で、当たり前のように活動させていただいているのだと、むしろ地域に感謝しています。
 さて、琉球大学は県民の期待を背負って1950年5月22日に首里城跡地に開学しました。今年で70周年を迎えます。Morrill法により設立された「ランド・グラント大学」のひとつであるミシガン州立大学の協力を得て、「ランド・グラント大学」の持つ「地域に根差し、地域のために」という精神を受け継ぐ大学としてこれまで成長してきました。琉大病院は、1970年に琉球大学附属病院として与儀にスタートして以来、琉球大学保健学部附属病院、琉球大学医学部附属病院と名前が変わりつつも、地域とともに歩んで50年が経ちました。つまり、50周年を迎えることになります。また、今年4月1日より、“琉球大学医学部附属病院”は“琉球大学病院”と名前を変えることになりました。大学本体に直接つながることで、これまでにも増して、医療安全を高めつつ、高度医療の提供を進めること、また、県民に親しんでもらうことなどが、その理由となっています。略称は、これまでと同じ“琉大病院”ですので、皆さんにとっては大きく変わる印象はないかも知れません。しかし、琉大病院職員一同、私たちの役割やミッションをより忠実に守り、より活動をバージョンアップして、県民とともに歩んでいきたいと思います。引き続き宜しくお願い申し上げます。