ラオスのセタティラート病院を訪問して

 

  ラオスという国は、東南アジア諸国の中で日本人にはあまり知られていない国の一つかも知れません。かつて、フランスが植民地化していたインドシナ三国の一つ(他は、カンボジアとベトナム)です。ラオスは人口約550万人ののんびりした、平和な、国民性がとても優しい、小さな内陸国です。最大の援助国であった旧ソ連の崩壊後、ラオスは経済的立て直しを目指し、日本に種々の援助を求めてきました。 その一つが医療協力で、日本国際協力事業団(JICA) が技術協力プロジェクトを1999年10月に立ち上げました。そのプロジェクトが「セタティラート病院改善プロジェクト」で、琉球大学医学部と附属病院は当初からこのプロジェクトに協力することになり、現在、5カ年計画が進行中です。

 セタティラート病院はラオスの三大病院の一つで、首都ビエンチャン市に属し、市民に親しまれてきた由緒ある、250床程の総合病院です。しかし、木造の病院建物は長い年月の間にガタがきて、手術室でさえすきま風が入るような状態でした。そこでラオス政府は、病院の新築と医療の近代化を図るプロジェクトを日本政府に要望し、上記のプロジェクトが始まった次第です。

 ビエンチャン市郊外に新しく建てられたセタティラート病院は、こじんまりした、きれいな病院です。病院玄関の前方では、左右の台座の上で陶器のシーサーが病院を守っています。これは琉大医学部の教官有志の厚志によって設置されました(プロジェクトの予算ではありません)。

 筆者は、岩政輝男医学部長と共に、JICAの調査団として平成13年3月26日から4月1日まで、ビエンチャンを訪問しました。調査団派遣の主な目的は、プロジェクトの進行状況を見ること、ラオス側の要望を聞くこと、日本側の要望をラオス側に伝えることの3点でした。云うまでもなく、このプロジェクトは日本国民の税金が注ぎ込まれており、本当に予算が有効に使われているか、また、ラオスの人々のために役立つプロジェクトになるかという視点が重要と思われます。ラオス側との協議がビッシリつまっており、数々の有用な話し合いができ、合意された「覚え書き」に双方の代表が署名しました。今回の訪問で感じたこと、考えたことの中から2、3点述べてみたいと思います。一般市民の皆様にも、国際協力プロジェクトについてのご理解とご支援をお願いしたいと思うからです。

 まず第一に驚いたことは、ビエンチャン市民のこのプロジェクトに対する期待の大きさで、想像以上でした。これは、ビエンチャン市長の話からせつせつと伝わってきました。新セタティラート病院が日本の援助で建てられたことを市民は良く知っており、日本の近代医療の種が新病院に植え付けられ、近い将来、その恩恵を市民が受けることができるという期待が大きく膨らんでいるのです(近代的医療を求めてかなり多くの市民が、高いお金を払ってメコン河対岸のタイの病院へ受診しています)。

 また、新病院を受診する患者さんの多くが、日本人ドクターに診てほしいと云うそうです、現在、日本人医師は一人しかいないのですが。

 ラオスの人たちの期待は熱く伝わってきます。しかし、琉大病院も患者さんをもっており、医師など職員の数は限られています。この問題を解決する一助として「派遣法」という法律がありますが、ここでは詳細を省きます。ともあれ、一旦、このプロジェクトを引き受けた以上は、なんとかやりくりをして役割を果たさなければなりません。医学部と附属病院全体でこの大役をまっとうするべく、取組んでいるところです。

 ラオス側にも困難な状況があります。発展途上国であるラオスでは、これまでエンジニア養成の必要性があまり高くなかったので、その数が非常に少ないのです。一方、新セタティラート病院は琉大病院ほどではありませんが一応、近代的病院になり、最新の医療機器やコンピュータなども導入されました。病院の建物自体も、電気系統その他のシステムが導入され、これら一連のシステムの保守・管理が病院として機能する上で必須の条件となりました。JICAは保守・管理の技術指導をするために専門家を派遣することを決定しましたが、ラオス側は必要とされるエンジニアの人数を確保できないのです。4〜5名が必要ですが、現在、1名いるだけです。われわれは、エンジニアの確保に一層努力して頂きたいとお願いすることしかできませんでした。

 このように、国際協力の分野では相手側だけでなくわれわれの側でも種々の問題が生じてきます。しかし、これらの困難な問題を乗り越えるところに、国際協力の素晴らしさがあると思われます。一緒に苦労し、なんとか問題を解決していく中で、真の友好関係が築かれるていくからです。

 このプロジェクトのかかわりで、今後、セタティラート病院の医師、看護婦などが琉大病院で研修を受ける機会が多くなりそうです。もし、彼等を見かけることがありましたら、どうか暖かい眼で見てやって下さるようお願い申し上げます。


(セタティラート病院改善プロジェクト国内委員会委員長)
          (ウイルス学教室福永利彦)

 

2001年3月30日「覚え書き」署名式

 



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